【世界遺産】熊本県・万田坑(まんだこう)はなぜ“近代日本の鍵”だったのか?技術と歴史を読み解く:2ページ目
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大正期には、出炭量の増大を目指し、より良い技術の導入・開発がなされ、鍜治場、鋳物場(いものば)、溶接場などが作られ、全体としてのシステムが完成しました。
ちなみに、施設で利用された機械類は、日本製のものだけではなく、イギリス、ドイツ、アメリカ、スイス製のものもありました。たとえば、安全灯室及び浴室、事務所はイギリス積みの煉瓦造り、第二竪坑櫓の鋼鉄はイギリス製であることが判明しています。
時代の流れとともに、閉山を迎える
石炭は日本の近代化を進め、万田坑は第二次世界大戦後の日本の復興にも大きく尽力しました。しかし、石油などへのエネルギー転換、石炭の内外炭価格差などによる経営悪化で、石炭産業は衰退していきました。
1951年(昭和26年)には、採炭効率の低下により、採炭が中止され、第一竪坑などの諸施設も解体。そしてついに、1997年に万田坑は閉山となりました。
現在の「万田坑(まんだこう)」と一般見学
万田坑は、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産のひとつとして、2015年に世界遺産に登録されました。
現在は、当時のまま保存されているレンガ造り建物や、炭鉱夫たちが地底と地上を行き来した坑口、巨大な機械が残る機械室などを見学することができます。
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