『べらぼう』裏切り連発のどん底回…大切な期待や夢を失った蔦重・歌麿・定信の心情を考察【前編】:3ページ目
流されやすい“庶民”も熱狂的支持から裏切る
憤りと無念さに打ちのめされ「私ではないか。私ではないか。」と呟きつつ城内の廊下を歩く定信。「私ではないか!嫌がられようとも煙たがられようとも、やるべきことをやり通したのは私ではないか!」には、気の毒になってしまいました。
恋川春町(岡山天音)を自害に追い込んでしまったと知った時同様、定信が無念な感情をぶつけられる相手は、この布団部屋だけなのかと思うと切ないですね。
定信を裏切ったのは、城内の人々だけではありません。江戸庶民も同じです。以前、田沼意次(渡辺謙)が失脚し定信が老中になったときは、「越前守様(定信)!きゃ〜素敵!」とはしゃぎ、「5歳で論語を暗記」だの「素手でクマを倒した」だの、根も歯もない賛美デマでもてはやしていました。
もともと、真実よりもわかりやすい“煽り”や“噂”に便乗して騒ぐのが好きな庶民たち。以前は、貧困も生活苦も洪水すらも、「すべて田沼のせい」と憎しみをぶつけ、定信になってからは“サダ活”で盛り上がっていましたね。
けれども、今や定信の質素倹約令で窮屈になった生活にうんざり。定信失脚に大喜びして、あっさり裏切ってました。こんなシーンも現代とリンクしていると思います。
