飛鳥の都に、ひとりの天皇が突然、姿を消しました。その死は、誰にも知らされず、朝廷の記録にもほとんど残されていません。
けれど人々の口には、ひとつの噂が残りました――「天皇は殺された」。
黒幕として名を挙げられたのは、当時の実力者・蘇我馬子。
仏教を広め、法興寺を建て、日本の近代化を進めたと称えられる一方で、天皇を手にかけた男としても語り継がれています。その事件の真相は、いまも歴史の闇の中にあります。
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天皇と大臣、緊張に満ちた宮中
六世紀の末、飛鳥の政治は表向きこそ天皇が治めていましたが、実際の権力は蘇我馬子の手にありました。彼は四代の天皇に仕え、仏教を受け入れ、法興寺を建立した大臣でした。
しかし、その圧倒的な力は次第に恐れと反感を呼び、即位した崇峻天皇もまた、馬子の支配に疑念を抱くようになります。
「自らの手で政を行いたい」と望む天皇と、「自分こそが国家を支える」と信じる大臣。
ふたりの間には、目に見えぬ緊張が張りつめていました。
猪の首が招いた不穏な言葉
ある日、宮中に一頭の猪が献上されました。崇峻天皇はその首を見つめ、ぽつりとこう漏らします。
「いつか猪の首を切るように、朕が憎いと思う者を斬りたい」
この一言が、運命を決定づけました。誰を指したのかは明らかではありません。しかし、馬子の耳に入ったとき、それは明らかに自分への脅しとして響いたのです。
権力の均衡は崩れ、宮中の闇に静かに火が灯りました。
