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封印された天皇暗殺事件――悪臣・蘇我馬子が仕組んだ崇峻天皇“暗殺”の真相とは?

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静かに進められた謀殺計画

592年11月、馬子は密かに行動を起こします。「東国からの貢ぎ物を届ける」という口実で、家臣の東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)に密命を下しました。

その任務はただひとつ――崇峻天皇の暗殺。何の疑いもなく直駒を迎えた天皇は、刃に倒れ、その場で息を引き取ったと伝えられています。事件は極秘に処理され、朝廷には沈黙だけが広がりました。

のちに直駒は馬子の娘を奪って妻にしますが、それが命取りとなります。馬子の怒りを買い、彼自身も殺害されました。血の連鎖は、関わる者すべてを巻き込んでいったのです。

権力の裏にある孤独

崇峻天皇の死後、馬子は皇太后の炊屋姫を推して推古天皇を即位させ、日本初の女帝が誕生しました。政は再び安定したかに見えましたが、宮中を包む空気はどこか冷たく、重苦しいままでした。馬子は恐れと孤独の中で権力を握り続け、誰よりもその重さを知っていたのかもしれません。

一方で、崇峻天皇の暗殺は、馬子の単独ではなかったという考えも現在は指示されています。

日本史上唯一、天皇を暗殺させた人物「蘇我馬子」の”独断犯行説”は現代では否定されている

天皇暗殺は「豪族たちの総意」?日本史上唯一、天皇を暗殺させた人物。それが蘇我馬子(そがのうまこ)です。[caption id="attachment_228412" align="alig…

なぜ天皇は殺さねばならなかったのか。何かを守るための決断だったのか、それとも何かへの恐れが生んだ暴走だったのか。真相は、今も飛鳥の闇の奥に沈んでいます。

ただひとつ確かなのは、あの夜の血の決断が、日本の歴史を静かに、かつ大きく変えていったということです。

参考文献:豊田 有恒『崇峻天皇暗殺事件』(1990 講談社)

 

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