日本の中心に息づく逆臣・明智光秀の血──「本能寺の変」の“その後”に残された末裔たちの真実:2ページ目
細川家を通じて受け継がれた“光秀の血”
ガラシャの子どもたちは熊本藩主として栄え、明治以降は侯爵家に。やがて公家や皇室との婚姻も進み、光秀の血は時代を超えて受け継がれていきます。
最近の研究では、細川家を通して天皇家にも光秀の血が流れている可能性もあることも指摘されており、「裏切り者の血が、日本の中心に息づいている」という歴史の皮肉に驚く人も多いでしょう。
けれども、これは光秀が築いた“家の知性”と“理想主義”が、時代を超えて評価された証でもあるのです。
光秀が築いた町――福知山
光秀は織田信長の命を受けて丹波を平定したあと、福知山を治めました。それまで山間の一地方にすぎなかった福知山を、彼は徹底的に整備します。治水工事を行い、道路や城下町を碁盤の目状に再編し、税制も整備しました。その政治力は高く評価され、光秀の治めた丹波は“平和で豊かな国”と称えられたほどです。
しかし、本能寺の変のあと、福知山は秀吉の支配下に置かれます。城主は次々と代わりましたが、光秀の作った町の骨格は今も残っています。中心市街地の区画や用水路の一部は、光秀時代の設計を受け継いでおり、まさに“彼が築いたまち”として今も息づいているのです。
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