『べらぼう』蔦重の実両親は?須原屋市兵衛その後、歌麿の胸中…10月26日放送内容の深堀り解説:4ページ目
蔦重の家族は?
実父が借金を作ってしまい、我が子を守るために駿河屋へ預けた……そんな真相を打ち明けられた蔦重。それを聞いて、日ごろ「ババア」と呼んでいたのが、今日に限って「おっかさん」と呼んでみました。
強く生き抜いてきた蔦重が今日あるのは、捨てられたからこそ。強くなければ生きていけないのだから、強くするために捨てたのだ……とは、捨てた側の自己弁護ですね。
ちなみに蔦重の実両親は、尾張の丸山重助(まるやま じゅうすけ)と、江戸の広瀬津与(ひろせ つよ)と言われています。
7歳の時に蔦屋(喜多川氏)へ養子に出されたと言いますが、実は養父について詳しいことは分かっていません。
※蔦重の養父を駿河屋市右衛門(高橋克実)としているのは、大河ドラマの創作です。
蔦重の養父は吉原仲之町で茶屋を営む蔦屋利兵衛(りへゑ)か、あるいは吉原江戸町二丁目の蔦屋理右衛門(りゑもん)など諸説あり、確証はありません。
大田南畝(桐谷健太)によれば、津与は教育熱心だったそうで、蔦重が成功をつかんだのはその賜物であると賞賛しています。
そんな教育熱心だった母親が、どういう理由で蔦重(柯理)を養子に出したのかは不明ですが、養子に出された後も蔦重と両親の仲は良好でした。
日本橋に進出した蔦重は自ら母親を招いており、少しは孝行したかったのではないでしょうか(父は別離中に亡くなっていた?あるいは本当にロクデナシだった可能性も……)。
第42回放送「招かれざる客」
身上半減から店を立て直した蔦重(横浜流星)は、てい(橋本愛)の懐妊を知り、子どもの誕生を心待ちにする。一方、城中では定信(井上祐貴)が幕閣内で孤立し始めていた。
※NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」公式サイトより。
「オロシャの船がやって参りました!」
時は寛政4年(1792年)、約9年半にわたり漂流していた大黒屋光太夫(だいこくや こうだゆう)一行が、ロシアによって送られてきます。果たして松平定信率いる幕府はこれをどう迎えるのでしょうか。
いっぽう蔦重はおていさんの懐妊に喜びますが、歌麿の「蔦重とは終わりにします」という予告のセリフに、修羅場を予感させずにはいられません。
蔦重をめぐり、おていさんと歌麿の微妙な関係はこれからどのようになっていくのか……次週も注目してまいりましょう!


