『べらぼう』蔦重の実両親は?須原屋市兵衛その後、歌麿の胸中…10月26日放送内容の深堀り解説:2ページ目
魂消た駒下駄吾妻下駄
「たまげたこまげたあづまげた」日ごろあまりダジャレを言わない歌麿から飛び出した、商魂たくましい蔦重への賞賛というか呆れというか……ゲタゲタゲタと笑うのはかえって野暮でしょう。
ところで駒下駄と吾妻下駄とは、一体どんな下駄なのか気になりました。
駒下駄とは、駒(馬)の蹄を模した足(歯)がついているから、その名前がつけられたと言います。こうすると一文字の差込歯より作るのは大変そうですが、強度は高そうですね。
いっぽう吾妻下駄とは、吾妻という名の吉原遊女が履いたことからその名がつきました。差込歯の底面に棕櫚表(しゅろおもて)が張られ、足音と歯の減りを抑える効果が期待されたのでしょうか。
皆さんも今後、何かに魂消た時は「たまげたこまげたあづまげた」と使ってみると、苦笑いしてもらえるかも知れません。
※ちなみに「玉下駄」という下駄はないかと調べたところ、下駄の底面の球体の一本歯を入れた玉下駄が売っていました。
加藤千蔭『ゆきかひぶり』とは
『源氏物語』の名文や和歌を、美しい書体で読みたい……そんな女性たちのニーズを引き出したいと考えたおていさんは、蔦重と一緒に書家の加藤千蔭(中山秀征)にお願いします。
そこで寛政4年(1792年)に出版された『ゆきかひぶり』。黒地に白抜き文字という斬新な趣向が、洗練された書体の妙味をいっそう引き出し、読者たちを魅了したことでしょう。
幼いころから学問や書物に親しみながら、女性であることを理由に受け入れられなかった彼女らしいアイディアでした。
ちなみに加藤千蔭は他にも蔦重や尾張の永楽屋東四郎(えいらくや とうしろう)と『万葉集略解』を出版したり、曲亭馬琴(滝沢瑣吉)の師となったりなど、深く関係を持ちました。
他にも千蔭の書を陶器に焼いた千蔭焼きや、織物に織った千蔭緞子(~どんす)など、芸術的な筆跡が様々に表現されたと言います。
劇中ではこれっきりの登場なのか、それとも今後も活躍して存在感を発揮していくのか、注目していきましょう。

