朝ドラ「ばけばけ」山岡鉄舟に入門した名剣士。江藤安宗(佐野史郎)のモデル・籠手田安定の生涯
朝ドラ「ばけばけ」には数多くの魅力的な人物が登場します。
島根県知事・江藤安宗もその一人。モデルとなったのは、実際に知事をしていた籠手田安定(こてだやすさだ)でした。
安定は現在の長崎県に生まれ、若くして藩主の側近に抜擢。しかし時代の変化とともに表舞台へと駆け上がっていきます。
安定は何を目指し、どう生きたのか。小泉八雲とどう関わったのか。籠手田安定の生涯について見ていきましょう。
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先祖は殿様の信頼を得た名将?生い立ちと幕末の活躍
天保11(1840)年3月21日、籠手田安貞は肥前国松浦郡平戸村で平戸藩士・桑田安親の長男として生を受けました。旧名は桑田源之丞と名乗ります。
桑田家は代々平戸藩(藩主は松浦氏)に使える武家でした。
戦国時代には、武将として有名な籠手田安経らを輩出。安経は松浦氏に次ぐ立場として平戸の統治を補佐していました。
源之丞自身も、名門出身であることを胸に精進していきます。
平戸藩伝(藩主・松浦静山が達人であった)の剣術・心形刀流を学び、若くして免許皆伝に到達しました。
その剣の腕と家柄は、源之丞の未来を決定づけます。
平戸藩は源之丞を探索方に任命。風雲急を告げる幕末の京都で、情報収集を担わせました。
京の都に上った源之丞は、河原町の直心影流・戸田一心斎の道場に通って人脈を広げ、師範代・高山峰三郎らと出会います。
文久元(1861)年には、藩主・松浦詮の近習(秘書兼護衛)を拝命。藩主の身辺に支えて、間接的ながら藩政に関わる立場となりました。
しかし国内では、徳川幕府と薩長ら討幕派との争いが深刻化。源之丞も再び中央と関わることとなります。
慶応3(1867)年、源之丞は再び入京。京都市中の警備を担当。翌慶応4(1868)年には明治天皇の大阪親征に供奉しました。
すでにこの時点において、源之丞は平戸藩を代表する立場となっていたことがわかりますね。



