朝ドラ「ばけばけ」山岡鉄舟に入門した名剣士。江藤安宗(佐野史郎)のモデル・籠手田安定の生涯:2ページ目
明治時代の地方官としての歩み
明治維新によって、日本の政治体制は大きな転換期を迎えます。
維新後、桑田源之丞は籠手田安定に改名。これは戦国時代に先祖が名乗っていた姓に服したものでした。
安定は新時代に際し、これまでに培った経験を活かす道を選びます。
明治元(1868)年、安定は大津県判事試補を拝命。新時代の地方役人としての道を歩み始めました。
翌明治2(1869)年には大津県大参事(副知事)となり、大津県の県政に深く関わる立場となります。
明治4(1871)年には全国で廃藩置県が施行。翌明治5(1872)年に大津県は滋賀県へと改称されました。
明治6(1873)年、安定は滋賀県参事を拝命。明治11(1878)年には、権令(県知事)に就任します。
そんな行政の只中でも、安定は剣をやめませんでした。
明治14(1881)年、一刀正伝無刀流の山岡鉄舟に入門。ついには高弟となって、やがて朱引太刀を授与されるほどの信任を得ました。
翌明治15(1882)年の京都撃剣大会、明治16(1883)年の警視庁撃剣世話掛との試合など、明治剣史に名を残しました。
剣術との向き合い方が、安定の業績にも良い影響を与えたのでしょうか。
滋賀県の県政において、特に治水工事に注力。幾度の苦闘の末に田川カルバート(暗渠)の建設に漕ぎ着けます。
工事は明治16(1883)年11月に起工。翌明治17(1884)年6月に竣工となり、安定は長浜の水引神社に祀られるほど感謝されました。
