手洗いをしっかりしよう!Japaaan

朝ドラ「ばけばけ」雨清水傳(堤真一)のモデル、幕末の長州征伐で武功を挙げた小泉弥右衛門湊の晩年の苦境

朝ドラ「ばけばけ」雨清水傳(堤真一)のモデル、幕末の長州征伐で武功を挙げた小泉弥右衛門湊の晩年の苦境

朝ドラ「ばけばけ」には、ヒロインの周りに多くの魅力的な人物が登場します。

その人物の多くが、実在した人物をモデルとしています。ヒロイン・松野トキの雇い主である雨清水傳もその一人です。

モデルとなったのは、小泉弥右衛門湊。小泉セツの実の父親である人物でした。湊は困窮したセツを自分の工場で働かせます。

小泉家とのつながりと、工場で培った経験がセツの人生に多大な影響を与えることとなりました。

湊はどのように関わり、自分の人生を生きたのでしょうか。湊の人生を見ていきましょう。

※本記事後半には朝ドラ「ばけばけ」におけるネタバレが含まれています。

※関連記事:

朝ドラ『ばけばけ』劇中の「松野家」と「雨清水家」のモデル、実際にどれほど収入が減っていた?

 朝ドラ「ばけばけ」では、ヒロイン・松野トキ(小泉セツがモデル)の生まれ育った士族(旧武士)の家の暮らしが描かれています。武士、とりわけ上級武士の生活と聞くと、豊かな暮らしを…

松江藩上級武士として幕末に活躍

天保8(1837)年、小泉弥右衛門湊は父・弥右衛門(7代目)岩苔の嫡男として生を受けました。

小泉家は松江藩における上級家臣の家柄で、代々番頭(ばんがしら)を務め、家禄は300石と伝わります。

松江藩における三職(家老・中老・番頭)を務める家は、1000の藩士のうちわずか50家。どれほどの家だったかがわかりますね。

初代弥右衛門は近江を本国、生国は因幡の侍で、のち松平直政に召し抱えられ、2代目以降は番頭に昇進する家格を確立。嫡子は家督と同時に「組外」という格式(他家の采配下に入らない特別の身分)を与えられ、湊に至る8代まで、この系譜は維持されます。

やがて父・岩苔が病気で引退すると、湊は家督を相続。8代目弥右衛門として小泉家を率いる立場となりました。

青年期の湊は小兵ながら武芸に精通。藩の習兵所で取締役を務め、藩士の軍事・人材育成に関与しました。

幕末の緊張が高まるなか京都守衛に出動。慶応2(1866)年の第二次長州征伐では1隊の指揮を執って長州兵を砲撃で撃退するという武功を挙げました。人物像は「意志強固で覇気に富む」と評されています。

2ページ目 チエとの結婚とセツの誕生 〜 晩年の後継者問題

 

RELATED 関連する記事