朝ドラ『ばけばけ』劇中の「松野家」と「雨清水家」のモデル、実際にどれほど収入が減っていた?
朝ドラ「ばけばけ」では、ヒロイン・松野トキ(小泉セツがモデル)の生まれ育った士族(旧武士)の家の暮らしが描かれています。
武士、とりわけ上級武士の生活と聞くと、豊かな暮らしを想像しがちですよね。しかし明治は江戸時代とは違います。
劇中の旧松江藩の士族の困窮や没落は、全国的に見ても決して珍しいものではありませんでした。
この記事では、士族、とりわけ松江藩の武士たちがどのように禄(給料)を減らされたのかを見ていきます。
後半では、劇中の「松野家」と「雨清水家」の両方を取り上げて、実際にどれくらいの収入が減ったのかを見ていきましょう。
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明治の士族の給料を語る前に、まずは江戸時代の武士たちの給与体系について説明しなければなりません。
江戸時代の武士の収入は、概ね「知行(領地収入)・切米/蔵米(年俸として米)・扶持米(家族・家来人数に応じた日当的米)・給金(銀)」の4系統でした。これは身分や役目で配合が違います。
藩主が藩士たちに支払い、ある意味で君臣関係は「給料と与える側と貰う側」であったと言えますね。
しかし明治時代に入ると、この関係に変革が訪れます。
明治2(1869)年、松江藩は朝廷に版籍奉還を実行。旧藩主・松平定安が知藩事に任命されます。
しかし政府の方針で、知藩事の禄高は藩高の10分の1に削減。家臣団(士族)にも禄削減が及ぶこととなりました。
さらに明治4(1871)年には廃藩置県が断行。所属する藩士たちには、秩禄が政府から支給されることとなります。
明治6(1873)年には家禄税導入と家禄の自主的な返上を実施。さらに禄高20%が削減されたと言います。
明治9(1876)年には、秩禄処分で士族への定期支給が全廃。代わりに金禄公債(5〜10%)を与えました。
1876年(明治9)には最終的に秩禄処分で定期支給を全廃し、のちに金禄公債(5〜10%利付、受取期間5〜14年など禄高が少ないほど高利・長期)を交付。支給方法自体を利子所得化して打ち切る方針が固まりました。


