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朝ドラ『ばけばけ』ヒロインのモデル 小泉セツの故郷「松江藩」が歩んだ激動の幕末・明治

朝ドラ『ばけばけ』ヒロインのモデル 小泉セツの故郷「松江藩」が歩んだ激動の幕末・明治

9月29日から、NHK朝ドラ「ばけばけ」がスタートしました!

今作の舞台となるのが、明治の島根県松江市です。ヒロイン・松野トキ小泉セツがモデル)が生まれ育った街は、どのようなところだったのでしょうか。

本記事では、幕末から明治にかけて松江(藩)が辿った道を解説していきます。ヒロインやその家族に思いを馳せながら読んで頂けると幸いです。

それでは松江の変遷と新時代の姿を見ていきましょう。

薩長の敵?味方?名門の藩が取った、どっちつかずの 姿勢

松江藩、という言葉を聞いてアナタはどんなイメージを持ちますか?はっきりと答えられる方は結構少ないと思います。

藩主は雲州松平家一族です。徳川家康の次男・結城秀康の。さらに三男である松平直政を祖とする名門でした。

藩の石高は出雲国に18万6000石、隠岐国に1万4000石を領有。山陰2カ国を有する、全国有数の大藩でした。

徳川幕府の時代が続けば、本来は平穏な時代が続いたはずです。

しかし嘉永6(1853)年にペリーが来航。江戸幕府の権威が失墜すると同時に、幕藩体制は終焉へと向かいました。

「ペリーも呪っちょくれ」と

「ばけばけ」初回の冒頭でヒロインの祖父・勘右衛門は言っていましたね。

それほど、当時の武士たちにとっては幕末・明治の変化は急激で、看過できないものだったと言えるでしょう。

やがて慶応3(1867)年10月、時の将軍・徳川慶喜大政奉還を実行。翌慶応4(1868)年には、旧幕府と薩長の新政府の間で戊辰戦争が始まりました。

において松江藩は「どっちつかず」の動きを取りました。

最終的には薩摩や長州などの新政府に恭順。京都守備などを担当してその忠誠を示しています。

しかし慶応4(1868)年、松江藩が領有する隠岐国で島民が蜂起。代官が追われる「隠岐騒動」が発生して、隠岐国が一時鳥取藩の預かりとなる出来事もありました。

明治2(1869)年には、松江藩は諸藩と同様に版籍奉還を実施。藩知事(藩主から改名)の任命権は新政府のものとなります。

同年には旧領だった隠岐国が隠岐県が発足。これは明治4(1871)年の廃藩置県に先駆けたものでした。

新時代の足音は、確かに松江藩に聞こえ始めていました。

2ページ目 経済政策で潤った松江と沈んだ武士たち

 

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