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朝ドラ『ばけばけ』ヒロインのモデル 小泉セツの故郷「松江藩」が歩んだ激動の幕末・明治

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 新時代の光と影!経済政策で潤った松江と沈んだ武士たち

江戸時代においても、すでに松江藩の藩政は窮乏しつつありました。

明治になると、松江藩はより経済発展を遂げるべく新時代に即した経済政策を採用していきます。

専売制によって木蝋朝鮮人参木綿(たたら製鉄)を統制。産業振興と藩収入の増加を目指しました。

加えて失業していく武士たちにも対策が取られます。

明治初頭から、松江藩では職を失った士族(旧武士)たちを保護するために士族授産政策を展開。養蚕・機織などが奨励され、松江でも麻苧(あさお)紡織場の設置など、官主導の授産・工場事業が試みられていきました。

教育改革(藩校から近代学校へ)

時代が変わったことで、教育政策も大きく転換していきます。

松江藩は大変に教育熱心な藩でした。すでに幕末からは藩校・修道館で和漢学の他に、洋学・兵学・医学も教授。最高学府として和洋の学問を広く教えていました。

明治5(1872)に学制発布後は、近代学校体制へ移行。明治8(1875)に「小学教員伝習所」が開設されて、教師の要請が始まります。やがて同校は島根師範学校から、島根大学教育学部へと連なっていきました。

劇中でヒロインのトキは、子供時代に「教師になりたい」と言っていましたね。女性が教育者となることが、当然の時代へとなっていくのです。

 

松江藩の士(旧武士)の転身

明治を迎え、松江藩の武士の身分も大きな変化を遂げました。

江戸時代の松江藩の武士身分は大きく「」と「」に分かれていました。前者が藩政を、後者が下役実務を担いました。

明治時代に入ると、藩士の多くが警察官・官吏・教員のほか、理髪店(床屋)など商工業へ転身。生計を立てるべく、各界で活躍していきます。

明治になると、武家の生活空間であった武家屋敷なども売却が進んでいきました。

特に象徴的だったのは、明治8(1875)年の松江城の払い下げです。ここで松江城は天守以外の建物が解体されました。

武士たちの時代は、松江でも静かに、確実に終わりを告げていたのです。

 

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