滅びゆく名門の誇り…反骨の貴族・大伴家持が『万葉集』に託した最後の歌【後編】
日本最古の歌集『万葉集』の編纂者と伝えられる大伴家持(おおとものやかもち)。その出自は、神代以来、大王(天皇)家に仕え、親衛隊とも称された軍事貴族・大伴氏である。家持に受け継がれた精神は、常に天皇家の安泰に向けられていた。
彼が生きた奈良時代は、天皇制が成熟する一方で、藤原氏を中心とした権力闘争が激化していた時代でもあった。家持は、ときに一族の暴発をいさめながら、幾度もの政変に翻弄されつつも大伴氏を生き延びさせたのである。
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「万葉集」編纂者で反骨の貴族・大伴家持の壮絶人生──左遷・密告・そして汚名【前編】
日本最古の歌集『万葉集』の編纂者と伝えられる大伴家持(おおとものやかもち)。彼は、天皇や貴族のみならず、遠く東国や九州の庶民の歌までも収めた万葉歌人として広く知られている。しかしその出自は、神…
[後編]では、『万葉集』に残された和歌を手がかりに、そんな家持の心情をたどっていく。
神代以来の軍事的功績で朝廷に重用される
大伴家持は、父・旅人から受け継いだ反骨精神を胸に、生涯を通じて朝政を独占しようとする藤原氏に抗い続けた。
もっとも、藤原鎌足以来、中央の権力を握る藤原氏といえども、神代以来、軍事を掌握し、天皇家の親衛隊的立場として大王家を支えてきた大伴氏の軍事的功績を無視することはできなかった。そのため紆余曲折や勢力衰退を経ながらも、大伴氏は奈良時代を通じて朝廷において重きをなし続けたのである。


