朝ドラ「ばけばけ」儚かった結婚生活…トキ(高石あかり)のモデル・小泉セツの実際の出生と結婚の結末
9月29日(月)から朝ドラ「ばけばけ」が始まりましたが、ヒロイン・トキのモデルは、のちに小泉八雲の妻となる小泉セツです。
セツは貧しい士族の家で育ち、小学校に通えずに幼くして就職。のちに夫となる小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)と出会いました。
本記事では、小泉セツの生涯を、年次の流れに沿ってお伝えします。
セツがどのような人生を歩み、誰と出会い、どのような経験をしたのか。
小泉セツの生涯を見てみましょう。
※本記事には朝ドラ「ばけばけ」におけるネタバレが含まれています。
運命?それとも天命?生後7日での出来事
慶応4(1868)年2月4日、セツは出雲松江藩の小泉家に、父・小泉弥右衛門湊と母・チエの次女として生を受けました(戸籍名は「セツ」ですが、本人は「節子」を好んだと伝えられます)。
父・小泉弥右衛門湊は、朝ドラ「ばけばけ」の登場人物である雨清水傳のモデルです。
※関連記事:
朝ドラ「ばけばけ」雨清水傳(堤真一)のモデル、幕末の長州征伐で武功を挙げた小泉弥右衛門湊の晩年の苦境
父は出雲松江藩の番頭と呼ばれる家禄300石の上級武士です。藩でも指折りの名家として知られ、581坪の土地に広大な屋敷を構えていました。
母方の実家・塩見家も、同藩で家老や中老といった要職を務めた家です。このまま何事もなく、江戸時代が続けば、セツの将来は約束されたはずでした。
ほどなくして、セツの人生を決める出来事が訪れます。
生後7日が経ったとき、セツは親族筋に当たる稲垣家(100石)へ養女として入ることになりました。これは、実子がいない稲垣家と以前から決められていたようです。
生後7日ですから、赤ん坊のセツにとってみれば預かり知らぬこと。真実を知ったのはずっと後だと考えられます。
養父・稲垣金十郎と養母・稲垣トミは、セツを我が子同様に大切に育てていきました。養祖父・万右衛門はセツを「お嬢」と呼んで大事にしていたようです。
ドラマの中で描かれる最初の家族のシーンがありましたね。あの家族団欒のシーンが、実は養家での風景を。
セツはそのまま、幼少期を現在の松江市内の中原町で送りました。171坪の敷地の中の屋敷で、のびのびと育った姿が想像できます。
しかし時代の荒波は、幼いセツをも激流の中に巻き込んでいくのです。


