『べらぼう』恋川春町の“豆腐オチ”の切腹…“推しの死”に慟哭する定信の心情を考察【後編】:2ページ目
「戯作者として権力に屈して死んだ」のではないというメッセージ
倉橋格としては切腹したが「恋川春町としては、豆腐の角にぶつけて死んだってことにしたかったってことですか」という北尾政演(山東京伝/古川雄大)に、「幸川春町は、最期まえふざけねとって考えたんじゃねえかなあ」と、涙を流す喜三二。
(ドラマでは、生真面目でときにひねくれて、子供のように拗ねると手がつけられないという堅物過ぎて「かわいい」とSNSでも評判の高かった春町。岡山天音さんの光る演技も、“春町っていう人はこういう人だったのか〜”と思わせるほど自然で、毎回魅せられるものがありました。)
才能豊かで主君にも愛された恋川春町は、最期に「戯作者として、権力に屈して、自分の作品の非礼を詫びて死んだのではない」と仲間に残したかった。皆も決して権力に屈して、己の筆を折るようなこと、本を売らなくなるようなことをしない……という強い思いが含まれていたと思います。
新宿区の成覚寺にある、恋川春町の墓跡には辞世の句の一部「我もまた 身はなきものと おもひしが 今はの際は さびしかり鳧(けり)」が、刻まれています。「鳧」は鴨のこと。『鸚鵡返文武二道』の「鸚鵡」のけりは「鴨」でつけたぞという意味合いでしょうか。
関連記事:
『べらぼう』大河史に残る、春町”泣き笑いの死”。史実をもとに実際の生涯や「辞世の句」を解説
ふんどし野郎こと松平定信(井上祐貴)の御政道を皮肉った『天下一面鏡梅鉢(作:唐来参和)』『鸚鵡返文武二道(作:恋川春町)』が大いに評判を呼び、調子に乗っていた蔦重(横浜流星)の元へ、奉行所より絶版(発…
チーム蔦重には、恋川春町の思いは伝わっていたようです。

