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『べらぼう』恋川春町の“豆腐オチ”の切腹…“推しの死”に慟哭する定信の心情を考察【後編】

『べらぼう』恋川春町の“豆腐オチ”の切腹…“推しの死”に慟哭する定信の心情を考察【後編】:3ページ目

「戯ければ、腹を切られねばならぬ世とは、一体誰を幸せにするのか。」

定信に春町の切腹を伝えに行く松平信義。「腹を切り…」と言ったあとに、ハハハハハッと大笑いして「豆腐の角に頭をぶつけて」と続けます。この大笑いに、心の底からの怒りが込められていました。

信義にも戯作者として最期に笑いを提供する「豆腐の角に頭をぶつける」意味や戯作者としての矜持がすぐにわかったのでしょう。

さらに、「戯ければ、腹を切られねばならぬ世とは、一体誰を幸せにするのか。学もない本屋風情にはわかりかねると、そう申しておりました」と蔦重の言葉を被せます。

この信義の場面は、本当に人情落語の名作を聞いているようで(演じているのが林家正蔵さんということもあり)、しびれるような場面でしたね。

このセリフも、定信の怒りを買ってお咎めを受けそうな内容ですが、「蔦重の言葉」とは言うものの、家臣を失ったことに対する信義の怒りであることは分かったのではないでしょうか。自分の行動が、クリエーターを死に追いやってしまった……という衝撃を受け、放心状態になったようでした。

主君に涙ながらに激怒されて「俺を筆を折る」と宣言した喜三二が、続けてくださいと蔦重に頼まれて「遊びってのは誰かを泣かせてまでやるこっちゃない」と、名セリフを言ったのが思い起こされます。

黄表紙の「遊び」を子供の頃からこよなく愛していた定信。いろいろなことを教えてくれた黄表紙も作家たちもこよなく愛していたのに。自分でその世界を打ち壊してしまった。

自らが死に追い込んだ恋町が、最期に戯作者としてのプライドをかけて取り入れた「遊び」。その「遊び」に定信が泣かされた。一人布団部屋で声を殺して号泣するシーンは胸に詰まりました。

ドラマの冒頭で、春町の黄表紙怒りにまかせてビリビリに破り裂いていましたが、捨てずに、きちんと整えて保管していたのは、やはり「オタク」と言われるほど黄表紙を愛していたからでしょう。

森下脚本の描く、松平定信は、子供時代から“癇癪小僧”と呼ばれていたように、カッとなりやすく一橋治済からは「プライドばかり高いやつ」といわれ「田沼病」とあてこすればすぐ怒って判断力を無くすと小馬鹿にされ始めています。

定信のアンビバレンツな性格に描かれている人物像も非常に興味深いものですね。春町の死を受け、これからどう動くのか、定信も蔦重たちの今後が気になります。

 

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