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『べらぼう』大河史に残る、春町”泣き笑いの死”。史実をもとに実際の生涯や「辞世の句」を解説

『べらぼう』大河史に残る、春町”泣き笑いの死”。史実をもとに実際の生涯や「辞世の句」を解説:4ページ目

春町の辞世を、唐来参和が勝手にアレンジ

一度は逃げようとも思ったが、仲間たちに迷惑をかけるのは忍びない……そんな思いから切腹した春町先生。しかし恩着せがましく思われるのも忍びなくて、破り捨てた遺書には辞世が詠まれていました。

我もまた 身はなきものと おもひしが
今はの際は さびしかり鳬(けり)

【歌意】私の人生も、他人と同じく身のない(しょうもない。惜しむほどのものではない)ものと思っていた。しかしいざ死ぬとなると、この世に未練を覚えて寂しく感じるものだ。

【真意】私は無実(実のない)と思っていますが、事ここに至って覚悟を決めた。とは言え、独りで死ぬのは寂しいものだ。

鳬(けり)とは鴨(カモ)や千鳥(チドリ)の別称で、鸚鵡(おうむ。転じて『鸚鵡返文武二道』騒動)の「けり(※)」を「かも」でつけたのでした。

(※)けり、とは古文で過去形や感嘆を示す接尾語で、現代でも「けりをつける(過去のことにする≒終わらせる)」などと言いますね。

本を書いたくらいで、なぜ腹を切るまでに追い詰められねばならなかったのか……そんなやるせなさから、唐来参和が勝手に辞世をアレンジしてしまいました。

我もまだ 実は出ぬものと おもひしが
今はおかはが 恋しかり鳬(けり)

【歌意】私もまだ「腹具合は大丈夫」だと思っていたのですが、今は御川(厠=お手洗い)が恋しくてしょうがない!

きっと変なものを食って、お腹を壊してしまったのでしょうね。本当にしょーもない……でも、笑わずにはいられませんでした。

第37回放送「地獄に京伝」

蔦重(横浜流星)は抱えの戯作者らが去る中、政演(古川雄大)に執筆を依頼するが…。一方、改革を進める定信(井上祐貴)は中洲の取り壊し、大奥への倹約などを実行する。

※NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」公式サイトより。

春町先生の切腹を報され、独り布団に顔を埋めて叫ぶ定信。子供の頃からファンだった春町を喪った悲しみは、自分の正義に妥協できなかった結果と言えます。

経済難から役目を辞退する者たち、賄賂を容認する者たち、そして自分を「田沼病」と笑う者たち……理想一徹の政治姿勢が周囲との軋轢を生み、定信を孤立に追い込んでいました。

「……戯ければ、腹を切られねばならぬ世とは、一体誰を幸せにするのか……」

果たして春町の死を通じて、定信はどのように変わっていくのでしょうか。また蔦重らは仇討ち?のため表現活動を先鋭化していくのか、あるいは……。

蔦重「お前も書いてみっか!」

てい「はい」

※次回予告より。

流石におていさんが戯作者デビューする展開はないでしょうが……蔦重たちの再起に期待です!

【べらぼう】政演(山東京伝)に新展開!?次回9月28日放送のあらすじ&場面写真、相関図が公開

NHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」、9月28日(日)放送予定の第37話「地獄に京伝」の予告、場面写真が公開されました。大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」公式サイトより ©️…
 

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