『べらぼう』大河史に残る、春町”泣き笑いの死”。史実をもとに実際の生涯や「辞世の句」を解説:2ページ目
恋川春町の生涯と作品
『金々先生栄花夢』で黄表紙ブームを巻き起こし、定信もその大ファンだった?恋川春町。その本名は倉橋格(くらはし いたる)、延享元年(1744年)に誕生しました。
右筆や側用人を務めるなど有能な人物で、藩政に参与するようになります。
いっぽう真面目ばかりでなく狂歌や戯作にも才能を発揮。恋川春町の筆名で数々の黄表紙を手がけ、酒上不埒の狂名で狂歌の一派(弟子に鹿津部真顔など)を立てるほどでした。
また鳥山石燕(片岡鶴太郎)に浮世絵を学び、勝川春章(前野朋哉)にも私淑。また劇中でも度々描かれるとおり、朋誠堂喜三ニとはコラボするほど仲良しです。
※余談ながら、春町の再婚相手は喜三ニに紹介してもらったとか。
しかし寛政元年(1789年)に出版された『鸚鵡返文武二道』が絶版処分になり、問責のため幕府から出頭を命じられます。
春町は病のためとして出頭せず、同年4月24日に隠居。家督を子の倉橋敬忠(たかただ。当時9歳)に譲りました。
そして同年7月7日に急死。享年46歳、死因については不明で、本当に病気だったのか、あるいは自害したという説もあります(大河ドラマではこの説を採用)。
法名は寂静院廓譽湛水居士(廓譽って……実はお好きだったのでしょうか)、大河紀行でも紹介された成覚寺(東京都新宿区)に眠っているので、今度お詣りしたいですね。
