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日本三大悪女・日野富子、実は濡れ衣?彼女が「応仁の乱」の元凶とされた3つの理由とは

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富子が「応仁の乱」勃発の濡れ衣を着せられた理由は?

富子には義視を排除する≒乱を起こす理由がありませんでした(むしろいてくれなくては困ります)。

それではなぜ、富子は乱の黒幕とされてしまったのでしょうか。

もし富子が清廉潔白であるなら、誰かが富子を悪者に仕立て上げても否定されるはずです。

しかし人々は、富子が乱の黒幕であると信じて疑いませんでした。

実は乱と無関係に、富子は日頃から嫌われており、それで濡れ衣を着せられてしまったのでした。

富子が嫌われ、濡れ衣を着せられた理由は以下の通りです。

①過剰な蓄財

②女性権力者に対する反感

③乱の複雑な抗争関係

①まず富子は、傾いていた幕府を支援するため、蓄財に励んでいました。

富子の莫大な財力で、幕府は色々と助けられているのは確かです。

しかし蓄財の手段があまりにえげつなかった(例えば関所をあちこちに作り、通行料を取りまくる等)ため、私利私欲ゆえの守銭奴だったに違いないと誤解されたのでしょう。

②次に富子は義政の妻として権勢を振るいました。

文化人の一条兼良(いちじょう かねよし)は、著書『樵談治要(しょうだんちよう。木こりが政治の要点を語る意)』において、女性が政治を行うことの是非を言及しています。

富子へのおもねりから「優れた女性が政治を行うのは問題ない」旨を強調しているものの、裏を返せば、女性政治家を快く思わない世情が反映されていました。

③そして応仁の乱は様々な勢力が入り乱れて争ったことから、事態の把握が容易ではありません。

当時の人々も、やはりそう思ってモヤモヤしていたようで、とかく「わかりやすさ」を求めていました。

天下を揺るがす大戦乱となれば、将軍家の家督争いが原因と解釈したほうがわかりやすい。そして家督争いの元凶は、私利私欲の権化である「大悪女」富子に違いない(何ならその方がヘイトをぶつけやすい)……そんな世論(潜在的需要)があったのでしょう。

こうした諸々の要素から、富子は天下の大悪女に仕立て上げられてしまったのです。

終わりに

今回は応仁の乱について、日野富子が着せられてしまった濡れ衣について紹介してきました。

日頃から嫌われていたから、アイツが犯人に違いない……そんな人々の思いが、富子を天下の大悪女に仕立て上げたようです。

世の中には常識や理解を超える出来事がたびたび起こり、わからないことをわからないままにしておけないストレスから、わかりやすいスケープゴート(生け贄)を求めてしまうことが少なくありません。

富子だけでなく、これまで悪とされてきた人物についても、正当な再評価が進むことを期待しています。

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※参考文献:

  • 呉座勇一『陰謀の日本中世史』角川新書、2018年4月
 

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