日本三大悪女・日野富子、実は濡れ衣?彼女が「応仁の乱」の元凶とされた3つの理由とは:2ページ目
そもそも富子には争いの理由(メリット)がない
我が子を将軍にしたい!
そんな富子のワガママによって惹き起こされた……かのように言われてきた応仁の乱。
しかし考えてみると、富子にはわざわざ争いを起こす理由(メリット)がありません。
と言うのも、義視は富子の妹と結婚しており、義視が将軍になっても自分の権勢は維持できたからです。
また義尚を将軍にしたいと言っても、生まれてすぐ将軍位につけるのは現実的ではありません。
当時は乳幼児の死亡率が非常に高いため、義尚が元服するまでは、義視を中継ぎの将軍としておくのが現実的でしょう。
義政もそう考えていたようで、義尚が生まれてからも義視を順調に昇進させるなど、将軍候補としての扱いを変えませんでした。
これらの状況から、富子にとって義視は邪魔者ではなく、むしろ頼もしい義弟だったと思われます。
実際に富子は妹を通じて義視と仲がよかったようで、足利将軍家だけで見れば、応仁の乱は勃発しなかったかも知れません。
ちなみに応仁の乱が起こった(戦乱が大規模化した)キッカケは、畠山政長と畠山義就の家督争いに山名宗全が軍事介入したことでした。
義政は両者の争いについて、誰も介入しないよう釘を刺していたものの、山名宗全はこれ無視して畠山義就を支援します。
言いつけを守った細川勝元は畠山政長を見捨てた形となり、評判を落としてしまいました。
こうなると兵を挙げない訳には行かなくなり、山名宗全&義就らとの全面戦争に突入していくことになったのです。
