江戸は“カフェ文化”の先駆け!?おかず、おやつ…江戸庶民が生んだ様々な日本の食文化の始まり:2ページ目
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日本のカフェ
ところで、時代劇では茶屋がよく登場しますが、この、いわば日本版の「カフェ文化」が流行したのにも理由があります。
関西ではお茶を煮出してつくり置き、客に提供していましたが、江戸では注文ごとに茶こしに茶を入れ、熱湯を注いで提供していました。これは濾茶と呼ばれました。
江戸後期の『守貞漫稿』には、「京都・大坂の粗茶の宿煮(煮出した茶)よりも濾茶の方がはるかにまさっている」とあるほどです。
こうしたお茶と団子などを供する茶屋・水茶屋が出現したのが江戸初期の寛文・延宝年間(1661~1681)の頃だといわれているので、江戸では早くからカフェ文化が広まったことがわかります。
ちなみに腰掛茶屋の場合、お茶一杯が大体5文(100円)程度でした。現代のカフェでは、少し気の利いたコーヒーでも700円くらいはしますが、当時のお茶一杯は自動販売機程度の値段だったことになります。
『鬼平犯科帳』の「兇賊」には、居酒屋・加賀やが登場しますが、この居酒屋が誕生したのが江戸の鎌倉河岸でした。
元文年間(1736~1741)に酒店の豊島屋が店を改造し、馬方田楽と呼ばれる大きな田楽豆腐とともに酒を提供。「でんがくを喰い喰い離れ馬を追い」と川柳で詠まれるほど大賑わいとなりました。
それまで酒は量り売りで持ち帰りが基本でしたが、料理と酒をその場で味わえる画期的な居酒屋が誕生したのです。
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参考資料:縄田一男・菅野俊輔監修『鬼平と梅安が見た江戸の闇社会』2023年、宝島社新書画像:photoAC,Wikipedia
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