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盲目的な愛の果てか?歴史的冒涜か?女帝・孝謙天皇が強行した道鏡の皇位継承問題とは【前編】

盲目的な愛の果てか?歴史的冒涜か?女帝・孝謙天皇が強行した道鏡の皇位継承問題とは【前編】:2ページ目

聖武と光明子の間に生まれた史上唯一の女性皇太子

孝謙天皇と道鏡という本題に入る前に、まずは孝謙天皇について簡単に説明しておこう。

彼女は718年(養老2年)、聖武天皇と光明皇后(藤原光明子)の間に長女として誕生、即位前の名は阿倍内親王(あべないしんのう)といった。

その9年後、夫妻の間には待望の男子・基王(もといおう)が生まれ皇太子となったが、わずか1歳で早世してしまった。

聖武天皇には皇后・光明子のほかに数人の夫人がいたが、その一人である県犬養広刀自(あがたいぬかいのひろとじ)との間に、基王に遅れること1年、728年(神亀5年)に安積親王(あさかしんのう)が誕生した。

しかし親王は藤原氏の庇護下になかったため、皇位に就く可能性は低かった。この状況の中で注目されたのが、阿倍内親王である。

天皇と皇后は、阿倍内親王に将来の帝王学を修めさせるため、秀才の誉れ高い吉備真備を教育係に任じ、『漢書』『礼記』などを学ばせたという。真備は内親王の即位後も近臣として仕え、天皇をよく補佐した。

そして738年(天平10年)、阿倍内親王は立太子され、史上唯一の女性皇太子となったのである。

3ページ目 疫病・貴族間の抗争など国難の中で天皇に即位

 

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