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江戸時代の高利貸しの金融業者「札差」とは何者だったのか?その実態と没落

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潰れない札差

相対済令と似た政策に、寛政元年(1789)に出された棄捐令があります。寛政の改革の中で出されたもので、天明4年(1784)以前の借金を帳消しとし、さらに翌年以降の借金は低利とするものでした。

さらに、天保の改革時の天保14年(1843)には、無利子・年賦返済とする法令が出されています。

これによって札差は債権を失っていきました。帳消しにされた札差の寛政元年時の債権額は118万両以上だったといいます。

『鬼平犯科帳』の舞台である寛政の改革当時の江戸の札差は、蔵前にある天王町・御蔵前片町・森田町に1組合があり、9の札差がありました。

このうち、寛政元年(1789)の棄捐額で最も多かったのが、天王町二番組の伊勢屋四郎左衛門の8万3000両であり、1両1万円として約107億9000万円もの債権が帳消しになったことになります。

ところがこの四郎左衛門は、文化14年(1817)にも変わらずに札差を続けており、いかに当時の札差が多くの資産を持っていたのかが分かります。

参考資料:縄田一男・菅野俊輔監修『鬼平と梅安が見た江戸の闇社会』2023年、宝島社新書画像:photoAC,Wikipedia

 

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