「べらぼう」が描く問題はまるで今の日本。怒りで暴徒と化す ”新之助の義” に粋に訴えた ”蔦重の義”:3ページ目
またもや「田沼のせい」を煽る声のでかいあの男が
田沼が米を集めるため奔走している事実が、人々に伝わっていないことを知った蔦重は、田沼の部下・三浦庄司(原田泰造)に依頼され「もうすぐお救い米が配られる。田沼さまが配ってくれる」という読売(瓦版)をばら撒きます。すでに、大阪のほうで米屋の打ち壊しがはじまり、そのムーブは東海道を登って江戸に近づいているという状況。なんとか江戸で打ち壊しなど起きないようにしなければなりません。
ところが読売では「お救い米は20日に配られる」はずでしたが、米は調達できず奉行所前には怒りの民衆が詰めかけて大騒ぎに。さらに、「米がなければ犬を食え」と役人に言われたと、叫ぶ男が登場します。
すでに「べらぼう」常連の「丈右衛門だった男」(矢野聖人)がまたデマを煽動。流民と思われるボロを纏った男(実は一橋治済(生田斗真)と結託し、「この男が役人に犬を食えと言われたそうだ!」と大声で叫び、役人に「お前らだけいい思いしているんだろう」と詰め寄ります。
突然始まったコントのような茶番ですが、興奮している民衆を煽るには、大声のデマは効果があり状況はよりヒートアップ。その煽動男が、「丈右衛門だった男」に気がついた蔦重。この騒ぎには、田沼を貶めようとする黒幕が暗躍していることに気がついたでしょう。
けれど、デマに煽られた新之助は、役人に「お上の考えはよくわかった」と睨みを効かせ長屋の連中と帰っていきます。打ち壊しを決意したのでしょう。新之助を心配して追いかけた蔦重に「田沼の手先に話せることはないな」と吐き捨てるように言います。
「田沼さまが米を配る!遅れているだけだ」と興奮状態にある新之助や長屋の人々を説得しようとする蔦重を、長七が殴り長屋の人々はそこに加勢しました。倒れた蔦重に、「妻子が落命した原因はこの世の中のせい。みんな金のことしか考えない、田沼がつくったこの世に殺されたのだ。俺たちはそれをおかしいと言うことも許されないのか、こんな世は正されるべきだと声をあげることも!」と言う新之助。
確かに、誰でも理不尽なことに対して黙る必要はないし、抗議の声を上げる権利はあります。
けれど、現実に妻子を殺したのは、田沼ではなく恩で仇を返した長屋の住人。そこに怒りをぶつけられない分、「自分は巨悪と戦っている」方向へと気持ちを盛り上げていっています。妻子が殺された現実から逃げずにきちんと向き合わねばと言っていた新之助が、結局は「世の中が悪い田沼が悪い」という考えに囚われ、手を下した下手人から目を背け、「田沼が米を配ろうと奔走している」という事実も耳に入れないのは危ういのではと思ってしまいました。
「犬を食えデマ」に引っかかり陰謀論に傾倒していく、これが「新之助の義」なのか?と残念に感じたのは筆者だけでしょうか。
平賀源内の言葉が胸に息づいている蔦重の義
長屋の連中にボコボコにされ倒れた蔦重が起き上がりながらつぶやいたのは「我が心のままに生きる」という平賀源内の言葉。
普通なら、散々殴られたら「あのクソ野郎どもめ!」と、吐き捨てたくもなるところが、このセリフを口に出すとはさすが、お江戸の名プロデューサー。まさに蔦重のべらぼうなところは、こういうところじゃないでしょうか。
蔦重の胸の中には、源内が生きています。同じ源内の弟子だった新之助に、この言葉は伝わるはず。打ち壊しなどで捕まって新之助が殺されたり人生を棒に振らないようになんとしてでも止めなければ。これが蔦屋重三郎の「義」です。
「我が心のままに生きる」の言葉で妙案を閃いたように見える蔦重。
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