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大河『べらぼう』過去回シーンが伏線に…凄惨な過去の亡霊に苦しむ歌麿、救えぬ蔦重【前編】

大河『べらぼう』過去回シーンが伏線に…凄惨な過去の亡霊に苦しむ歌麿、救えぬ蔦重【前編】:2ページ目

蔦重と一番長い付き合いの北尾重政のアドバイス

何か新しい企画をする時、蔦重はかならず重政に相談しています。史実でも北尾重政は蔦谷重三郎と生涯に渡り一番長く深く付き合った絵師

重政は、書物問屋の息子として生まれ、出版ビジネスにも詳しく、裕福な家庭で育ったこともあり温厚な性格の人格者だったとか。仕事は多彩なジャンルを手掛けるオールラウンダーで、気さくにいろいろな頼み事を聞いていたそうです。

それなのに、「狂歌」には一定の距離を持っていたそうで、狂歌本の制作には携わるものの、自分で狂名で狂歌を詠んだ記録がないというのも、非常に興味深いところです。

以前、蔦重が「女郎の錦絵」を企画した時、スポンサーになる亡八たちが「売れている絵師を使え。歌麿は無名だからだめ」と言われ、歌麿を外して北尾 政演(古川雄大)にしたことがありました。

その時、重政だけは「俺ゃ歌にやってほしかったけどね」と言っていたのを覚えていますか。

「俺ゃ駆け出しの奴の絵は山ほど見てきたから、そいつらが落ち着く先の画風も大体は読めんだよ。けど、歌はからきし読めねえんだ。そうなると見たくなんじゃない?あいつが、人真似の絵をやめたらどういう絵を描くのかって」

これは、生涯でさまざまな弟子を輩出し若手の育成に熱心だった重政らしい「目利き」の言葉だと、印象に残りましたが、今回の伏線でしたね。

3ページ目 「枕絵」が悲惨な過去を鮮やかに呼び覚まし苦しめる

 

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