【べらぼう】史実では異なる佐野政言の切腹。世直大明神の「辞世の句」や社会的影響を紹介:2ページ目
佐野政言の辞世?
幕府の記録によれば、佐野政言が切腹の場で辞世を詠んだ様子はありません。
しかし世の中には政言の辞世とされる歌が伝わっており、そのいくつかを見てみましょう。
卯の花の 盛りもまたで(待たで) 死手の旅 道しるべを 山時鳥(ヤマホトトギス)
※『営中刃傷記』など
卯の花の 盛(さかり)を捨(すて)て 死出の旅 山時鳥 道しるべせよ
※『鼠璞十種(そはくじっしゅ)』など
【歌意】ウツギの花盛りを待たず、死出の旅に発つこととなった。山で啼くホトトギスが、旅の道しるべとなるだろう。
卯の花は卯月(うづき。旧暦4月)の由来ともなる花で、4月が始まったばかりの3日に世を去る政言が「花盛りを待ちたかった」と名残を惜しんだのでしょうか。
ホトトギスは不如帰(帰るに如かず=帰りたい)とも書く通り、もう二度と戻れない≒死を象徴する鳥とも言われています。また血を吐きながら啼くという俗信もあり、合わせて死を思わせたことでしょう。
他にも佐野家の菩提寺である徳本寺(東京都台東区)では政言の辞世と伝わる文書が遺っていたそうです。
こと人(異人)に 阿らて(あらで)御国の 友とちた たかい(血戦い)すつる(捨つる) 身はゐさきよし(潔し)
【歌意】他ならぬ御国の友(田沼意知?)と血戦に及び、命を捨てる姿は、実に潔いものである。
※御国の友:不明確ながら、同じ下野国の佐野一族つながりを意味しているのかも知れません。
内容からすると、政言自身が詠んだというより、誰かがその義挙?を讃えて詠んだのではないでしょうか。
ちなみにこの辞世?は鏡文字(鏡に映すと正しく読めるよう、反転させて書いた文字)で書かれているそうで、何だか不気味ですね。
