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江戸時代の寺社は賭博天国。アウトローから博徒へ、江戸の闇社会の実態とは?【前編】

江戸時代の寺社は賭博天国。アウトローから博徒へ、江戸の闇社会の実態とは?【前編】:2ページ目

都市への人の流入と犯罪増加

江戸時代後期になると、博打は地方の農村にも浸透していきました。

当時の農業は生産技術が劣っていたので、飢饉が起きると年貢の徴収に疲弊してドロップアウトする農民も少なくありませんでした。

彼らは泥にまみれた重労働を嫌がり、賭博に興じる博徒と化していったのです。

また、正式な手続きをせずに村を離れる「不斗出者」も増え、犯罪の数も増加しました。

文化・文政期(1804~1830)の江戸は庶民文化が隆盛して経済活動も盛んだったので、江戸の町に流れ込んだ者も多かったのです。

周辺農村とは賑わいが段違いなので、「都会」たる江戸を志向するのは自然な流れだったと言えるでしょう。このような「地方」「都会」の構図は、今も昔も同じでした。

一方で、農村の有力者でありながら博徒の親玉になる者もいました。彼らは地元を拠点にして徒党を組み、武器や人材を揃えました。そして、縄張りを接する近隣の博徒集団と、しばしば小競り合いを起こしたのです。

次回の【後編】では、博打が農村社会に根付いた意外な理由と、さらに輪をかけて博徒集団が勢いを増していった経緯を見ていきましょう。

【後編】の記事はこちら↓

幕府も黙認、江戸時代の寺社はカジノ状態。なぜ江戸の博徒は寺社に集まったのか?【後編】

前編では、「かぶき者」である旗本奴や町奴にかわって博徒たちが幅を利かせるようになり、しかもそれが農村社会にまで浸透していったさまを解説しました。[insert_post id=253072]…

参考資料:縄田一男・菅野俊輔監修『鬼平と梅安が見た江戸の闇社会』2023年、宝島社新書画像:photoAC,Wikipedia

 

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