『べらぼう』明暗分かれた“桜”…田沼意知と誰袖の幸せな桜と、追い詰められ悲劇を招いた佐野の枯れ桜【後編】:2ページ目
幸せと不幸が層になって同時に描かれていく
田沼の屋敷を訪れ「家系図を返せ!」と声を荒げる父親を制して平謝りをした時、政言が意知の顔をチラリと見たのが印象的でした。
そこに宿った思いは、嫉妬か、申し訳なさか、佐野家が田沼家にどう捉えられてしまったかという懸念か、意次のような父親がいてうらやましいという思いか……いずれも当てはまるような複雑な表情だったと思います。
意知に、将軍の鷹狩りのお供をする段取りをつけてもらいつつも、獲物が見当たらないため評価されず落ち込み、さらにそれを「田沼が隠した」と陰口を告げに来た人物にすっかり嵌められと、さまざまなことが起こりました。
意知を信じたい気持ちと自分が利用されているのかもと疑う気持ちの間で揺れている佐野は、彼を利用して田沼を失脚させようと企むものにとっては格好の標的でした。
少しずつ耳に入ってくる悪い噂や誇張されたデマに、次第に気持ちは蝕まれていく。
そんな状況のとき、さも親切心からというていで近づいてきて、田沼親子の悪口を吹き込んだのが、「丈右衛門だった男」(矢野聖人)でした。
そう、「丈右衛門だった男」は平賀源内(安田顕)が罠に嵌められ投獄されることになった事件のときにも、源内に薬物を摂取させ一緒に罠にはめた男を口封じのため、あっさり斬り捨ててた、あの男です。
「佐野の威落とした鴨を意知が隠したところを見た」「佐野家が田沼家に送った桜が、田沼が神社に寄進して『田沼の桜』として評判だ」など、田沼が佐野家を陥れようとしていると言うネタを次々に吹き込んでいきます。
冷静に考えれば、「なぜこの男がそんなことを知っているのか?」「なぜ今や絶大な権力を持つ田沼家がわざわざ佐野家を陥れなければならないのか」など、「おかしいな」と感じることがたくさんあります。
さらに「あなたが気の毒なので言いますが」というていなのに、自分の名前は「お察しください」で言わないのは怪しさ満点。
けれど、社会的にむくわれない虚しさ、蚊帳の外にいるような生きづらさ、田沼家に対するコンプレックス、父親からかけられる重責、その父親の介護、いろいろな要素で押しつぶされそうになっている政言にとって、額面通りに受け取ってしまうのも無理はないかもしれません。
史実では、『番町に過ぎたるものは2つあり、佐野の桜に塙検校』
と狂歌にされるほど有名だった佐野家の桜。(「塙検校」は盲人の国学者の塙保己一のこと)昔、佐野家の庭で見事に咲き誇っていた桜は五代将軍・綱吉公から拝領したもので、佐野家にとって一家の繁栄の象徴となっていました。
その桜は咲かず、贈った佐野の桜は「田沼の桜」は見事だと噂されている……と吹き込まれ、その桜を見に足を運び満開の桜を見上げる政言の後ろ姿。
「悪」を吹き込まれてメラメラと怒りと憎しみが湧き上がり復讐を誓うというより、“やりきれなさ”でいっぱいのようで切な過ぎました。

