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江戸時代に横行した「辻斬り」を監視せよ。幕府が設けた監視小屋”辻番”の知られざる実態

江戸時代に横行した「辻斬り」を監視せよ。幕府が設けた監視小屋”辻番”の知られざる実態

「人斬り」監視小屋

まだ戦国時代の名残がある江戸時代初期、武士が刀の斬れ味を試すため、あるいは剣術の向上を目的に、何の罪も無い人を殺傷する辻斬りが横行していました。

このため幕府は、寛永6年(1629)、辻斬りを取り締まるために大名や旗本に警備施設を設けるように命じます。こうして武家屋敷の周囲に置かれた見張り小屋が辻番の始まりです。

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町民のエリアには自身番や木戸番が置かれましたが、江戸の街の6割を占める武家地の辻(交差点)には、この辻番が置かれていました。

辻番には、幕府が設置した公儀御給金辻番(公儀辻番)、大名が設置した一手持辻番、近隣の大名や旗本が共同で設置した組合辻番などがあります。

当初は武家が直接運営にあたっていましたが、辻番の大部分を占める旗本では維持することが難しく、17世紀後半には町人がその役を請け負うようになりました。

業務の実態

辻番の人は、どのような流れで配置されていたのでしょうか。

池波正太郎の『鬼平犯科帳』には、盗人から依頼を受けて「おつとめ(盗み)」を手伝わせる別の盗人を斡旋する「口合人」が登場していたのを覚えている方も多いでしょう。

また『仕掛人藤枝梅安』でも、依頼者から殺しを請け負って暗殺者を手配する「夢」という仲介者が登場していましたね。

「口合人」「夢」はいずれも池波正太郎の造語ですが、実際に江戸時代には人宿口入れ屋などと呼ばれる人材派遣業者が存在していました。

辻番も、こうした人宿の斡旋によって、武士以外の者が配置されるようになったのです。

2ページ目 遺体の処理にも関係していた辻番

 

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