【江戸時代の捕縛道具】江戸では犯罪者をどう捕らえたのか?命懸けだった捕物出役の全貌
命がけの捕物出役
時代劇で描かれる勇壮な捕物シーンは、物語の大きな見せ場のひとつです。
命がけの任務である捕物出役や、犯人の生け捕りに特化した独特の道具は、当時の治安維持の知恵と工夫を現代の私たちに垣間見せてくれます。
今回は、町奉行所がどのように犯人を捕まえたのか、捕物出役の実際と道具の工夫をみていきましょう。
『鬼平犯科帳』では、馬に乗った長谷川平蔵や与力・同心・捕方などが盗人宿を強襲し、捕縛する様子が描かれています。では実際の捕物はどのようなものだったのでしょうか。
まず小さな刑事事件の場合は、同心が容疑者に出頭を命じるか、小者に捕縛させて自身番屋で取り調べました。
軽犯罪の場合は、同心がその場で①放免、②入牢、③町預かり(町役人に預けること)を判断します。
犯罪者の激しい抵抗が予想される場合は、『鬼平犯科帳』で描かれているように部隊を整えて出動することになります。
この出動部隊が捕物出役と呼ばれ、犯罪者1人に対して与力1騎、同心3~4人が目安となっていました。このほか、同心1人につき数人の小者がつきます。
与力は普段は裃ですが、出役の際は着流しとなり、丈夫な火事羽織と動きやすい野袴を着けて陣笠をかぶることもありました。
与力は検視(見届け人)の役割で、現場の指揮を執りますが、捕物に加わることはあまりありません。
出役の準備ができると、町奉行は与力・同心に言葉をかけて盃を交わし、正門を開かせて出発。表玄関で見送ります。
このとき町奉行からかけられる言葉は「万一命を隕すことある時はあるいは親戚へ無相違家相続せしむる間、無二念働き申べし。出役の祝儀として一盃を進す」(『江戸町奉行事蹟問答』)だったといいます。やはり犯罪者の捕り物は命懸けだったのです。
