明治の百円紙幣に描かれた藤原鎌足の肖像画、モデルはまさかのあの首相だった!
日本史上「最大」の紙幣
明治時代、西南戦争の影響で発生したインフレーションを収束させ、明治時代の近代的貨幣制度の確立に大活躍したのが松方正義です。
今回は、日本史上最大とされる紙幣と、松方正義の意外な関係についてみていきましょう。
※関連記事:
顔も見たくない!?隣国で忌み嫌われた日本の紙幣ベスト3【前編】
お手本はアメリカ。天下の日本銀行はなぜ誕生したのか?西南戦争と紙幣整理の真相
松方が首相兼大蔵大臣に就任した1891(明治24)年、百円紙幣が発行されました。
これはそれまでの他の紙幣に比べてサイズがとても大きく、縦が130mmで横が210mmもあったのです。これは日本史上最大の紙幣といわれています。
この紙幣が発行されることになった際、そこに描かれる人物は天皇に親しい人から選ばれることになりました。そこで決まったのが藤原鎌足です。
さっそく藤原鎌足の肖像を描いたのは、1881(明治14)年から日本の紙幣のデザインを作っていたエドワルド・キオソーネ(1833~1898)でした。
もともと明治政府は、文明開化・殖産興業政策を推し進めるため、法制・産業・軍事・教育・芸術などの幅広い分野にわたって、外国から専門家を招いてその指導を受けていました。
さまざまな分野で活躍して日本の発展に協力した彼らはお雇い外国人と呼ばれ、日本の近代化に大きな役割を果たしています。
キオソーネもそうしたお雇い外国人の一人だったのです。
キオソーネの貢献
キオソーネはイタリア人で、若くして芸術的才能を謳われた銅版画家でしたが、1875(明治8)年に、現在の大蔵省印刷局にあたる紙幣寮の招きをうけて来日しました。
彼は、近代的な製版法や凹版彫刻、印刷技術などを日本に伝え、紙幣や切手の国産化を成功させます。
彼の指導によって、日本の紙幣製造技術・印刷文化は一気に世界的水準に高まったと言われています。
またキオソーネは宮廷画家としても活躍し、多数の銅版肖像画を製作しました。
全国に配布された明治天皇の御真影や、大久保利通・西郷隆盛・岩倉具視など明治の元勲たちの肖像画は、みな彼の手になるものです。



