「源氏の祖」とも言われる源満仲 〜”密告”でのし上がった武将の実像に迫る:2ページ目
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武士団の形成
多くの富を得た源満仲は、周囲からの反感も買っていました。973年(天延元年)には、左京一条にあった自邸を武装集団によって襲撃、放火されるという事件が起きました。
こうした事件もあり、彼は武士団の形成していきます。警護などを担当した武士団は、鎌倉時代以降にもつながっていく存在となりました。
源満仲とその子孫
源満仲の子どもには、有名な「源頼光」がいます。頼光は、頼光四天王をたずさえて大江山の酒呑童子を退治したという伝説で知られますが、そのときに使われた宝刀「鬼切丸」は、現在でも多田神社の宝物殿に納められています。
また、彼の三男「頼信」の子孫には、「源頼朝」がいます。
源満仲が愛した刀
源満仲が愛した刀に、「髭切(ひげきり)」と「膝丸(ひざまる)」があります。彼は、自分が納得できる刀が手に入らず悩んでおり、刀鍛冶に依頼します。
刀鍛冶が八幡宮で祈願したところ、「鉄を60日間かけて鍛え、太刀を2振作るように」とお告げを受けます。そのとおりに作った刀がまさに髭切と膝丸なのです。これらは、「源氏の宝刀」とも称されています。
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