
「源氏の祖」とも言われる源満仲 〜”密告”でのし上がった武将の実像に迫る
「源氏」は、日本史を習った方はもちろん、それほど日本史に興味がない方でも知っている単語でしょう。歴史上「源」がつく人物は数多くいますよね。
そのなかで、今回の記事では「源氏の祖」とも言われる平安時代の武将・源満仲(みなもとのみつなか)にフォーカスしてご紹介していきたいと思います。
彼自身の名前は聞いたことがない方も多いかもしれませんが、彼の息子は有名人であり、また彼の刀は非常に有名な人とかかわりがあるなど、とても興味深い人物です。
源満仲とは
源満仲は、912年(延喜12年)に京都で生まれました。926年(延長4年)15歳のときに元服し、満仲という名前を名乗るようになりました。
彼の名前が資料に初めて登場するのは、960年(天徳4年)に平将門の子が入京したという噂があり、検非違使や大蔵春実らと一緒に捜索を命じられた武士の一人として現れた、という事象です。
密告を通じて、中央での地位を確立
969年(安和2年)に「安和の変」(あんなのへん)が起こります。これは、藤原氏による他氏排斥事件のひとつなのですが、これに大きく関わっていたのが、源満仲です。
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源満仲は、藤原氏の侍として仕えていましたが、彼は藤原師尹(ふじわらのもろただ)に対して、橘重延(たちばなのしげのぶ)と源連(みなもとのつらね)の謀反を密告したのです。
橘重延と源連は逮捕され、朝廷は最終的に左大臣・源高明も加担していると判断し、九州に左遷しました。これをきっかけに、源満仲は恩賞として「正五位下」(しょうごいのげ)に昇進しています。
摂津国・越後国・越前国・伊予国・陸奥国などの受領を歴任し、莫大な富を築いていきます。
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