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大河「べらぼう」大田南畝らとも交流があった戯作者・雲楽山人こと長坂高景の生涯をたどる

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戯作者•狂歌師としても活躍

そんな長坂高景は、文筆家としても活躍。雲楽山人(うんらくさんじん)と号して、天明元年(1781年)から天明5年(1785年)ごろにかけて活動しました。

雲楽山人の作品には『無陀物語(むだものがたり)』『鯉池全盛噺(こいのいけぜんせいばなし)』『傾城知恵鑑(けいせいちえかがみ)』『契情手管智恵鏡(けいせいてくだちえかがみ)』などが世に出ています。

無駄・恋・傾城(契情)・手管……よほど女遊びが好きで、その知見を作品に盛り込んだのでしょう。

狂歌も詠んだようで、雲楽斎(うんらくさい)とも号しました。

また交友関係も広く、『愚人贅漢居続借金(ぐにんおとこいつづけかりがね。蓬萊山人帰橋)』では朱楽菅江(あけら かんこう)・志水燕十(しみず えんじゅう)・蓬萊山人帰橋(ほうらいさんじん ききょう)・四方赤良(よもの あから)などと遊ぶ様子が描かれています。

雲楽山人の作品が大河ドラマでも言及されるか、楽しみですね。

3ページ目 長坂高景(雲楽山人)基本データ

 

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