幕末の志士たちはなぜ命を賭けた?日本を近代国家へと導いた「理念の連鎖」の記録:2ページ目
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こうした流れの中で、1868年に「王政復古」が宣言され、幕府は政権を朝廷に返上します。これを機に明治新政府が成立し、日本は近代国家への歩みを本格的に開始することになります。
志士たちの理念は、明治に入るとさらに発展します。とくに板垣退助は、フランスの自由主義思想に強く影響を受け、国民が政治に参加する権利を訴えるようになります。彼が起こした「自由民権運動」は、明治10年代に全国的な広がりを見せ、言論・集会の自由、議会の設置、憲法の制定といった、近代民主国家に不可欠な制度の実現をうながす大きな原動力となりました。
※参考記事:
自由民権運動の英雄・板垣退助の意外な過去!出世を目指した軍人から転身した理由とは
「自由民権運動」といえば板垣退助板垣退助という名前を聞くと、自由民権運動や「板垣死すとも自由は死せず」などの言葉をすぐに連想する人も多いと思います。[caption id="attachm…
もちろん、幕末の志士たち全員が初めからこうした近代的な自由や民主主義を意識していたわけではありません。しかし、幕府の旧体制に対する反発、国家の危機に対する責任感、新たな国づくりへの情熱のなかに、確実にそうした理念の「萌芽(ほうが)」は存在していました。
幕末の志士たちは、時代を動かすきっかけを作った人々です。彼らが掲げた理想やとった行動は、明治以降の近代国家建設の道へとつながっていきます。旧来の秩序をこわし、新しい国のかたちを模索した彼らの志は、まさに「理念の連鎖」のはじまりと言えるでしょう。
その連鎖は、自由民権運動を経て、憲法制定と帝国議会の開設につながり、やがて現在の日本社会の基礎となっていきました。彼らの歩んだ道のりは、けっして一直線ではなく、失敗や矛盾も多く含んでいましたが、それでも一歩ずつ、日本を近代国家へと導いた確かな足跡だったのです。
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