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大河『べらぼう』殻をぶち破った恋川春町、史実では幕府をも皮肉りついに出頭命令…そして悲しき最期【後編】

大河『べらぼう』殻をぶち破った恋川春町、史実では幕府をも皮肉りついに出頭命令…そして悲しき最期【後編】:4ページ目

けれどもその年に大きな話題となったのは、同年、やはり蔦重プロデュースで出版した、喜三二作の『文武二道万石通』(ぶんぶにどうまんごくとおし)で、鎌倉時代に源頼朝が文武の功績者を調べさせたところ……というような話で、現実世界で同じ命令をした、老中の松平定信を思いっきりあてこすった内容だったとか。

親友の喜三二の本が大ヒットしたのに刺激されたのか、1789(寛政元年)に蔦重のもとで、やはり絵は北尾政美に任せ『鸚鵡返文武二道』(おうむがえしぶんぶのふたみち)』という作品を出しました。

この内容がまた、さすが「皮肉屋の春町」。簡単にあらすじをご紹介すると……

天下泰平の世の中で人々の心が華美に流れる。

そのことを嘆いた延喜の帝(醍醐天皇)が、時代を超えて、源義経、源為朝、小栗判官を呼び寄せ、人々に“武芸の指南”をさせる。

ところが、教えられたほうはどんどん脱線。あたりかまわず矢を放つは、人の物を壊すは、義経が牛若丸の時に五条大橋で千人切りをしたのを真似して、五条橋で人を襲うなど、はちゃめちゃになっていく。さらには、馬術の稽古と称して馬には乗らずに陰間に乗るやら女郎に乗るやら…と、世の中は見当違いが巻き起こり……

実に皮肉な寛政の改革を風刺した内容でした。

松平定信による締め付け政治にうんざりしていた江戸っ子の間で、この本は空前の大ヒット作になるも、定信の怒りを買ったのか、春町は出頭を命じられてしまいます。

春町は、病を理由にそれを断ったものの、間も無く死去。一説によると「主君に責められた」「主君に恥をかかせてしまった」「幕府の咎めを危惧した」などの責任を感じ、自らの命を絶ったという話も伝わります。

もしくは、『鸚鵡返文武二道』で書きたいことを書き尽くしたと思ったのか。46歳という若さでその生涯を閉じたのでした。

その後、松平定信は、あまりの締め付けの厳しさに庶民同様にうんざりした11代将軍の徳川家斉によって失脚、家斉の贅沢や浪費を止めない水野忠成を老中首座に抜擢したせいで、幕府の財政はどんどん悪化していきます。

徳川家斉は、15歳で将軍職に就い3年後に正室を向けるものの、若い頃から大奥に入り浸り女遊びが激しかったことで知られています。側室や妾の数は40人以上、子どもの数はわかっているだけでも53人…という話も。さらに、オットセイを原料とした精力剤を愛飲し、「オットセイ将軍」「種馬公方」というあだ名も付いていたそうです。

贅沢三昧を好み、財政はどんどん傾いていく……

こんなキャラクターの将軍を、恋川春町が話題にしないわけはありません。この馬鹿げた幕府の顛末を、さぞかし皮肉が効いたストーリーで本にしたでしょう。

ドラマ「べらぼう」ではどのように描かれるのか。今後の展開が楽しみながらも、田沼の失脚による、松平の締め付けにより、蔦重はじめ江戸文化を担ってきた人々に困難がふりかかることを思うと、胸が痛むのですが、今後も見守っていきたいと思います。

 

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