「べらぼう」サイコパス道廣登場!蝦夷地を巡り誰袖も渦中に…そして屁!屁!屁…6月1日放送のクセ強すぎ笑:2ページ目
二代目・大文字屋市兵衛
大文字屋市兵衛(伊藤淳史)が亡くなった跡目を継いだ二代目・大文字屋市兵衛(伊藤淳史)。養子のはずですがお養父さんと顔がそっくりですね。
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彼は岡本家から大文字屋市兵衛の姪まさに婿入りし、二代目を襲名しました。
狂歌師としても活躍し、その狂号を加保茶元成(かぼちゃの もとなり)、妻のまさは秋風女房(しゅうふう/あきかぜにょうぼう)と名乗ります。
※秋風とは夫婦仲の冷え込みを象徴するものですが、何だか不穏ですね。
後に相応内所(そうおうの ないしょ。養母)や棟上高見(扇屋宇右衛門)、俵小槌(大黒屋庄六)そして蔦唐丸(蔦重の狂号)らと結成した吉原連を主導しました。
へらぼうに米二粒(濁点)をくっつけて「べらぼう」のタイトル回収は巧みでしたが、やはりTPOは考えた方がいいかも知れませんね。
サイコパス松前道廣
粗相をした家臣の妻に乗せた的を火縄銃で射撃するというサイコパス・松前道廣(えなりかずき)。流石にこんな暴挙に及んだ記録はないようですが、視聴者の度肝を抜く演出でしょう。
松前道廣はよく言えば豪放、悪く言えば素行のよくない人物だったそうで、一橋治済や島津重豪(田中幸太朗)といった反幕閣的な人物と交流したり、吉原で豪遊を繰り返して松前藩の在世を傾けたりなどしています。
幕府からたびたび注意を受けても態度が改まることはなく、ロシアから通商要請が来てもこれを強硬に拒絶。また国後島や目梨地方でアイヌの叛乱が勃発した際は、妥協なくこれを鎮圧しました(クナシリ・メナシの戦い)。
寛政4年(1792年)に隠居して家督を長男の松前章広(あきひろ)に譲っても血気盛んで、寛政8年(1796年)にイギリスのプロビデンス号がアプタ沖(北海道洞爺湖町)に出没した際は、一戦交える気満々で出陣したそうです。
まさに北の暴れん坊といった感じですが、これからの活躍?に注目しましょう!


