二刀流は浪漫!江戸時代、新選組で”二刀流の達人”と謳われた隊士が存在した!:2ページ目
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運命の油小路
慶応3年(1867)3月甲子太郎が思想の違いから新選組を離れ、御陵衛士(ごりょうえじ)を結成すると武雄は平助や他の同志たちと共に御陵衛士に加入します。
同年11月15日に坂本龍馬が近江屋で暗殺されると武雄は龍馬のために歌を詠みました。
実のところ2人は一度も会ったことがないのですが、同日に甲子太郎が龍馬と会っていたのでその時に龍馬の人となりを聞いて詠んだのだと思います。
その3日後の11月18日油小路事件が起きます。新選組によって暗殺された甲子太郎の遺体を引き取りに行こうとした御陵衛士は激戦になることを予想します。
武雄は鎖帷子の着用を促しますが却下され、武雄のみが付けました。
そして、新選組と激戦となり平助や毛内有之助(もうないありのしん)が死亡した中、武雄は他の御陵衛士たちを逃がすために孤軍奮闘します。
腰に提灯をぶら下げ、民家を背に2振りの刀を振るった武雄に新選組は苦戦し多くの負傷者を出しました。
最後は原田左之助の槍の一突きで絶命するのですが、武雄の死に様は20箇所の傷を負い両手の刀を握ったまま大の字に倒れる見事なものでした。
最後に
新選組に加入する前から奸臣を斬り伏せたことから武雄は正義感や己の信条を絶対に曲げることのない剣士だったと思います。
そして兄弟のように親しかった甲子太郎を失ったことで生きる希望を失い、最後は甲子太郎と共に散りたいということで油小路に死に場所を求めていたのかなと考えてしまいます。
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