大河「べらぼう」編集者の正論が心を削る…蔦重の殺し文句に惹かれた春町、鱗の旦那が託した“夢”を考察【後編】:3ページ目
鱗の旦那から託された“夢”と蔦重と瀬川の“夢”が出会う
元の関係に戻った蔦重と鱗形屋。
「互いにやりたいようにやった。ただそれだけのことだ」。
蔦重に謝罪し、お前に持っていて欲しいと鱗形屋が取り出したのは、明和の大火で1枚だけ焼け残っていた本の板木でした。
本作りの象徴でもある板木は、文章と画が職人の手によって丁寧に刻み込まれた大切なものです。1枚だけ残っていた貴重な板木ですが、鱗形屋は「本作りの“夢”」を蔦重に引き継ぎたかったのでしょう。
「こりゃ、『塩売文太物語』じゃないですか」と驚いて黙り込む蔦重。
シ〜ンとしてしまったので、「こんなもの渡されてもな」と、困るよな、断りづらいよな、というようなバツの悪そうな、自虐的なそれでいてちょっと悲しそうな表情をする鱗の旦那。
ところが、黙り込んだ蔦重の頬を涙が伝っていきます。
「コレ、初めて買った本なんでさ。駿河の親父様に初めてもらったお年玉握りしめて買いに行って。で、うれしくて」
「そうか、コレ、鱗型屋さんだったのか」という言葉に、鱗形屋も涙します。
「俺にとっちゃあ、こんなお宝ねえです。これ以上ねえお宝をありがとうございます」。
このシーンは、泣けました。
ご存知のように、『塩売文太物語』は子供時代の蔦重が初めて買った本で、自分の宝物にしていたものを、同じく幼かった花の井(のちの瀬川/小芝風花)が井戸に大切なものを落としてしまったのを慰めるためにプレゼントした本でした。
以来、ずっと蔦重を心の中で想っていた花の井の宝物となり、瀬川花魁になり仕事がたてこんで体がキツくなったときもいつも取り出しては何度も読んでいた本です。
『塩売文太物語』は、最後には好きな男と添い遂げられるハッピーエンドで、物語自体が「いつかは惚れた蔦重と結ばれたらいいな」という瀬川の“夢”が詰まった本だったのです。
そして蔦重が駆け落ちを目論み、偽造した通行手形の「女の名前」に、この本の主人公「しお」を使い、瀬川に「二人で逃げるぞ」という“夢”のメッセージを伝えたこともありました。
そんな、たくさんの叶えられなかった過去の“夢”が詰まっている大切な「塩売文太物語」が鱗形屋の本で、その板木を託されるとは。過去の夢を回収している脚本の技が光ります。
実際に、この「塩売文太物語」は作画者は不明、版元は鱗形屋で、寛延2年(1749)に刊行されています。
瀬川と蔦重の“夢”が詰まっている本は、鱗形屋が作ったもの。そして1枚だけ焼け残った板木が蔦重に手渡され、鱗形屋の「いい本を作り続けてくれ」という本作りの“夢”のバトンが渡された。そんなシーンでした。
「お前、だってよ、ウチの本読んだガキが本屋になるってよ………びっくちがしゃっくりすらあ」と泣き笑いする鱗の旦那。
本屋冥利に尽きますね。このエピソードが、いつか瀬川の耳に入るといいのにと、筆者は思ってしまいました。
耕書堂で、この二人の会話を聞いていた歌麿が笑みを浮かべていたのは、大好きなにいさんである蔦重が鱗形屋といい関係を取り戻せたことだけではないと思います。
一度は諦めて捨てた蔦重と自分が本作りをするという“夢”が、いよいよ始まった!自分も「自分の絵が描ける!」という嬉しさもあったと思います。

