大河『べらぼう』身請け後、横領事件に巻き込まれ…実在した花魁「誰袖(福原遥)」が辿った光と影【後編】:3ページ目
明るくポジティブなだけではなく強さも感じる誰袖
大人になった誰袖ですが、性格は少女の頃とまったく変わっていない様子。桜並木で出会った蔦重に抱きつき「いつ身請けしてくれる?」「兄さんなら身請けもできんしょう」「しきたりなんか書き換えてしまいんしょう」と、蔦重の耳に息を吹きかけ猛アプローチ。
相変わらずクセの強いポジティブキャラですが、遣手のお目付け役、志げ(山村紅葉)をすっかり味方につけている様子。厳しい志げもなんだかんだ小言を言いつつも、「もう、しょうがないねえ」という感じで笑っているのが印象的でした。誰袖という儚げな名前ながら、なかなかのしたたかさも身につけている様子も感じます。
蔦重の「吉原再見」に「たがそで」の名前が
誰袖は、実在の人物ではありますが、残されている資料は少なく、その生没年は不明、出身地や育った環境、家族、なぜ吉原に売られてきたのかなどの事情はわかりません。
天明3年に発行された、版元・蔦屋重三郎「吉原細見五葉枩」の中で、大文字屋を探してみると、「大もんしや」その下に「大もんしや市兵衛」と楼主の名前が記載されてあり、上段の右から四番目に「たがそで」の名前とともに「よび出し」の文字が。(上写真/赤枠)
当時、吉原の花魁の中でも、呼び出しは最も格が高い花魁でした。ところが、この翌年の正月に発行された「吉原細見五葉枩」を見ると、前年の「たがそで」部分が消されているのがわかります。
天明4年に、田沼沖次(渡辺謙)の家臣で、勘定組頭の旗本の土山宗次郎(栁 俊太郎)に身請けされたので、消したのでしょうか。(下写真/赤枠)

