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室町時代、足利義満に「皇位簒奪」の野心はなかった!?では義満の本当の野心とは何だったのか?

室町時代、足利義満に「皇位簒奪」の野心はなかった!?では義満の本当の野心とは何だったのか?:3ページ目

義満の本当の目的

一方、朝廷の反対があって実現こそしなかったものの、義満が太上天皇の称号を得ることを望んでいたのは事実です。

また、義嗣を後小松天皇の猶子(養子)として、元服の儀式も親王(天皇の子)に準ずる形で行わせました。

これこそまさに天皇家の乗っ取りだとする説に対し、ある研究者は、これは鎌倉幕府の先例にならって、親王が将軍を務める「親王将軍」に義嗣を就かせることが目的だったとする新説を提唱しています。

では、これらの新説を整理すると、足利義満は結局のところ大局的にはどのような野心を抱いていたのでしょうか。それは、あくまでも室町幕府の権力の強化にありました。

南北朝が分裂した混乱の中、11歳で将軍についた義満には生まれながらの君主気質がありました。

彼は朝廷の儀礼を学び、公家社会に順応する中で、朝廷の財産権や人事権まで掌握。南北朝講和を実現させ、南朝を後ろ盾に幕府に反抗してきた大名も屈服させてきました。

北山第の造営や義嗣の「親王」計画は、こうした義満の幕府強化策の総仕上げだったと言えるでしょう。

義満の狙いは皇位を奪うことではなく、朝廷・幕府の両方を外側から支配する『超越者」になることにあったのかも知れません。

しかし義満の死後、4代将軍義持は北山第を放棄し、弟である義嗣も殺害。朝廷とは距離を取り、幕府の長としての現実策を採りました。

義満の生前には傀儡とも評された義持が、父の足跡から自由になることで室町幕府は新たな時代を迎えることになったのです。

参考資料:
中央公論新社『歴史と人物20-再発見!日本史最新研究が明かす「意外な真実」』宝島社(2024/10/7)
画像:photoAC,Wikipedia

 

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