諸説ある平賀源内(安田顕)の最期を紹介。孤独と狂気にハメられた天才…【大河べらぼう】第16回放送レビュー:3ページ目
【諸説あり】平賀源内の最期
安永8年(1779年)11月20日に刃傷沙汰を起こし、同年12月18日に獄死してしまった源内先生。その死因は破傷風と言われており、当時の劣悪な環境が災いしたことは想像に難くありません。
劇中では丈右衛門にハメられてしまった源内先生ですが、犯行の経緯等には諸説あるようです。
- 説1:平賀源内は門人・久五郎と友人・丈右衛門に対して抜刀。両人は負傷し、久五郎は死亡。口論になったためと言うが、動機は不明。
- 説2:平賀源内は大工の秋田屋九五郎ともう一人の棟梁を殺傷。犯行動機は自身が作成した大名屋敷の修理図面を、九五郎らが盗んだと勘違いしたと言う。
……かつてエレキテルの図面を盗まれたことが不運の元凶だと思い込んでいた源内先生にとって、図面はトラウマの引き金でした。
また一説には男色がらみでの犯行とも言われ、孤独と狂気に侵された源内先生なら、それもありそうな気もしますね。
乾坤の 手をちぢめたる 氷かな
※平賀源内の辞世
ちなみに劇中で久五郎からもらっていた「煙草」は、もしかして麻薬(阿片?)だったのでしょうか。また獄中に差し出された湯気の立つ飲み物は、毒(源内に対する口封じ)だったのかも知れませんね。
