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大河『べらぼう』煙草の罠、謎だらけの死、白湯の意味…平賀源内(安田顕)の去りいく背中を惜しみつつ考察【後編】

大河『べらぼう』煙草の罠、謎だらけの死、白湯の意味…平賀源内(安田顕)の去りいく背中を惜しみつつ考察【後編】:4ページ目

「非常の人」源内の生き様や偉業は現代にも引き継がれる

安永8年(1779年)12月18日。享年52歳で獄死した平賀源内。

史実として伝わる話でも、牢獄での死因はいくつかあります。大工の久五郎を斬ったときに自らも負傷し、その手当をきちんとしないままに投獄されたので不衛生な牢内で悪化してしまい死を招いたという説。自らの身を嘆き、食事にも水にも手を付けずに望んで衰弱死したという説。源内が亡くなったのは、正式なお沙汰が下される前で、突然の獄死は江戸の人々に大きな衝撃を与え、さまざまな憶測を呼んだそうです。

埋葬にも謎が多く、橋場の総泉寺に埋葬されたとさますが、遺体は秩東作が引き取った、遺体は引き渡されず公式には埋葬されなかった、親族(甥や姪など)引き取ったなどの説があります。

葬儀は杉田玄白らの手により行われ、玄白は私財を投じて墓碑を建てました。その墓碑にはあの有名な「嗟非常人 好非常事 行是非常 何非常死 」の一文が記されています。

「ああ非常の人、非常の事を好み、行いこれ非常、何ぞ非常に死するや」

ああ、何と変わっていた人よ、好みも行いも常識を超えていた。どうして死に様まで非常だったのか……というような意味合いでしょうか。親しかったゆえの言葉が胸に響きますね。

5ページ目 源内の本を出し語り継ぐことで後世に伝えていく決意

 

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