鳥山検校の「検校」って何?江戸時代の視覚障害者の職能団体「当道座」について詳しく解説【大河べらぼう】:2ページ目
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先ほど、当道座は73もの階級にわかれているとご紹介しましたが、この階級を早く登っていくためには、お金が必要でした(職分に励んでいれば、申請によって盲官位を認められることになっていましたが、それには長い年月がかかりました)。
なんと、お金で官位を買えてしまったのです。最下位から最上位まで登り詰めるためには、719両(約7200万円)必要だったと言われています。
こうした理由から、彼らは何とかしてお金を集めなければならなかったのです。
高利貸しも認められた
目の見えない人々は、三味線などの芸能や鍼灸・按摩などの事業が独占的に認められていました。それに加えて、「官金」(かんきん)と呼ばれる金融業も認められました。
元禄時代以降、高利貸しが公認され、一部の人々は法外な高利と容赦ない取り立てなどをする悪徳金融業者となりました。視覚障害者が貸し付けた金銭は「座頭金(ざとうがね)」と呼ばれました。こうして財を成し、吉原で豪遊するような人々も表れたのです。
なお、幕府公認とはいえ、問題が大きくなってきたことを受け、悪質な高利貸しは処罰対象となりました。鳥山検校も、財産を没収されたのち、江戸から追放されています。
当道座の終わり
当道座も、永遠に続いたわけではありません。明治4年に出された「盲官廃止令」により、組織は解散となりました。芸能や鍼灸・按摩の同業者組合に再編成されていきました。
いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。
大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」 – 公式ホームページ
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