藤原京から平城京への遷都の理由…それは「あの人物」の権力誇示のためだった!?【前編】:2ページ目
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先述の通り、この遷都にはいくつかの疑問点があります。中でも腑に落ちないのは、元明天皇自身は遷都に消極的であったふしがみられることです。天皇は詔の冒頭で「遷都のことは急がなくてもよい」と述べているのです。
そしてその後、「しかし、皇族や大臣らみんなが遷都のことをいうので、衆議も無視できない。都は百官の府であり、自分だけが楽しむわけにはいかない。利点があるなら従うべきだ」とも述べました。
また、天皇は藤原京を去って平城京へ向かう途中で、飛鳥の方を臨んで次のような歌を詠んだと伝えられています。
「飛ぶ鳥の明日香の里を置きて去なば君があたりは見えずかもあらむ」
歌の意味は「飛鳥の古い都を捨てて行ったら、あなたのあたりは見えなくなりはしないでしょうか」というものです。
「あなた」とは亡くなった夫の草壁皇子のことで、この歌からも、天皇が本当は藤原京を去りたくなかったのではないか、という説があります。
では、それにも関わらずなぜ遷都は行われたのでしょうか。この疑問に対する回答は【後編】で説明します。
※【後編】の記事はこちら↓
藤原京から平城京への遷都の理由…それは「あの人物」の権力誇示のためだった!?【後編】
大きな都が必要だったから…ではない【前編】では、710(和銅3)年に行われた藤原京から平城京への遷都について、その経緯と疑問点を説明しました。※【前編】の記事↓[insert_post i…
参考資料:日本歴史楽会『あなたの歴史知識はもう古い! 変わる日本史』宝島社 (2014/8/20)
画像:photoAC, Wikipedia
トップ画像:藤原京の復元模型(Wikipediaより)
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