大河「べらぼう」蔦屋重三郎と瀬川を生涯結ぶ2冊の本 『心中天網島』『青楼美人』の紹介と考察【前編】:3ページ目
蔦重が瀬川に贈った名前はいつも夢見ていた「しお」
偽造した通行手形に書いた名前は「女 しお」。幼い頃に蔦重からもらいずっと大切にしていた赤本『塩売文太物語』の主人公で、塩売の娘の名前です。この本は、しおがいろいろな体験をするものの最後は恋人と結ばれる内容で、縁起がいいために祝儀物として歓迎されていたとも。
「いつか、惚れた蔦重と添い遂げる夢が叶う」と希望を持てるからか、何度も何度も瀬川が読み返した本です。そんな本の主人公「しお」の名前を蔦重が、「一緒に逃げよう」という通行手形の偽名に使うという、心憎い演出でした。
瀬川は、「しお」の名前を見たとき、いつも夢見ていた未来を蔦重も分かってくれた嬉しさ、それが現実になるかもという希望に胸をときめかせたのではないでしょうか。名前とともに、女切手に書かれた付は七月二十八日。この日の夜に足抜けを決行するぞ、瀬川ならきっとわかるはずという本気のメッセージを込め、蔦重は貸本に女切手を挟んだのです。
けれども、結果的に足抜けは計画段階で頓挫。瀬川は、女将の諭す「吉原花魁の宿命」を受け入れ身請けを決めるのでした。
瀬川は蔦重に本を返し「この本、馬鹿らしうありんした。この話の女郎も間夫も馬鹿さ。手に手を取って足抜けなんて上手くはずがない。この筋じゃ、誰も幸せになんかなれない」といいます。側から聞けば、さも本の内容を話しているようでですが、瀬川からの蔦重への別れを告げる言葉でした。
「悪かったな。つまんねえ話すすめちまって」自分の不甲斐なさに落ち込む蔦重。
「なに言ってんだい。馬鹿らしくて、面白かったって言ってんだよ。この馬鹿らしい話を重三がすすめてくれたこと、きっとわっちは一生忘れないよ」と、そっと蔦重の手に自分の手を重ねる瀬川でした。
