
大河『べらぼう』実らなかった禁断の初恋…蔦屋重三郎(横浜流星)と瀬川(小芝風花)の関係は史実?:2ページ目
身請けされた五代目瀬川の晩年
安永4年(1775年)に鳥山検校へ身請けされた五代目瀬川。しかし彼女の初婚生活は決して幸せなものではありませんでした。
身請けから3年後の安永7年(1778年)、鳥山検校はそれまでの極悪非道ぶりを咎められ、全財産を没収された上に江戸から追放されてしまったのです。
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夫の没落によって瀬川は行き場を失い、劇中で蔦重が忠告したとおり、世間の笑い者とされてしまいました。
柿本臍丸『花の姿色名寄(はなのすがた いろなよせ)』や田螺金魚『契情買虎之巻(けいせいがい とらのまき)』では、金のために盲人に身請けされたことを(直接または間接的に)批判されています。
また南陀伽紫蘭『玉菊燈籠弁(たまぎくどうろうのべん)』に至っては、伝説の遊女・玉菊(たまぎく)太夫が亡霊となって現れ、「真芝屋(ましばや≒松葉屋)の屁川(へがわ≒瀬川)」の悪口を言い連ねる始末。
あんなヤツは遊女の希望どころか、恥さらしもいいところだ……まったく本人が言い返せないものだから、みんな好き放題の踏んだり蹴ったりですね。
ちなみにその後の瀬川はどうだったかと言うと、喜多村信節『筠庭雑考(いんていざっこう)』によれば江戸深川に住む武士の深川何某(ふかがわ なにがし)と結婚して2人の子を授かりました。
夫に先立たれた後は後ろ髪を下ろしたものの、大工の結城八五郎(ゆうき はちごろう)と連れ添ったそうです。
鳥山検校・深川何某・結城八五郎……三度にわたる結婚生活を経て、彼女が幸せな暮らしを送れたことを願わずにはいられません。