大和政権による捏造!?古代日本「磐井の乱」は反乱か?史料から浮かび上がる九州地方の豪族の新たな姿【後編】:2ページ目
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九州と大和のせめぎ合い
磐井の乱後、九州の前方後円墳は小さくなっていきます。これは大和政権が勝利したことで、九州の豪族に大きな古墳を作ることを禁じたからだと考えられます。
つまり、この時期を境に、大和政権の力が九州地方にも及ぶようになったのです。
磐井の敗北は、九州地方の豪族の力を削ぎ、中央集権化が進んでいくきっかけになったと言えるでしょう。
この事件は単なる反乱の鎮圧以上の意味を持っています。九州と大和の勢力争い、新羅との外交、そして権力者の思惑が絡み合った複雑な出来事でした。
磐井の乱は、古代日本の統一がどれほど困難だったかを示す一例と言えるでしょう。
参考資料:日本歴史楽会『あなたの歴史知識はもう古い! 変わる日本史』宝島社(2014/8/20)
画像:photoAC,Wikipedia
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