非業の死を遂げた吉原遊女の霊を慰める「玉菊燈籠」とは?その始まりを紹介!【大河べらぼう】

NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」第9回放送は「玉菊燈籠(たまぎくどうろう)恋の地獄」。2週連続で吉原遊郭の闇が浮き彫りにされていくようです。

前回放送の解説はこちら↓

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『吉原細見 籬の花』を出版し、約束どおり倍以上の売り上げを達成した蔦屋重三郎(横浜流星)。五代目瀬川(小芝風花)を一目見たさに、吉原遊郭は千客万来・大繁盛。しかしそれは遊女たちの苦しみと引き換えでした…

ところでこの玉菊燈籠とは一体なんでしょうか。調べてみたところ、吉原遊郭ではお盆になると、非業の死を遂げた遊女・玉菊の霊を慰めるために燈籠を掲げたのだとか。

果たして玉菊とはどのような女性で、いつごろ活躍したのでしょうか。今回は遊女・玉菊について紹介します。

ルックスよりも人柄と才能で人気者に

玉菊は元禄15年(1702年)に生まれ、享保年間(1716~1736年)初期に吉原遊郭へ売られてきたと言います。

角町(すみちょう)にある中万字屋勘兵衛(なかまんじや かんべゑ)抱えの遊女となりましたが、あまり美人ではなかったのだとか(失礼な!)。

しかし性格のよさと多芸多才で人々から慕われ、その器量は吉原遊郭でも並ぶ者なしと評判を呼びます。

玉菊が得意としたのは茶の湯・生け花・俳諧・琴曲、中でも河東節(かとうぶし。浄瑠璃の一種)の三味線と拳相撲(けんずもう)の妙手でした。

拳相撲とは御座敷遊びの一種。単なる手遊びですが、彼女は黒いビロード(天鵞絨)に金糸の紋を縫い取らせた拳回しを作ったそうです。

要するにmyグローブですね。きっと彼女がこの拳回しを着けて勝負に挑むと、周囲から期待の歓声が上がったことでしょう。

2ページ目 大酒が過ぎて生命を落とす

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